サヨナラ またね 元気でいてNATION
2017年1月から始まった私のシズニ人生が一旦本日で終わりを迎えた。(念の為一旦としておく。)
一度は完全に行く気が消失し、一席を無駄にしようと思っていた。ところが優しいフォロワーさん達に励まされ約5年ぶりに味の素スタジアムに足を運ぶこととなった。
味スタに来るのは2018年のa-nationぶりだ。その時もたった数曲のために36度を超える猛暑の中1人で向かったんだっけ。
初めて日本語バージョンのtouchが披露された時の悠太の笑顔が忘れられない。
日本単独ツアーが発表されたのもあの日だった。
人の心は変わる。あの頃の高揚感はどこへ行ってしまったのだろう。真冬のソウルコンから真夏のシンガポールまで追いかけた初のワルツ。
彼は今日も私の知ってる彼で、ずっとこの目で見てきた彼だった。少しは期待したんだ。気持ちが戻ることに。でも不思議だね。戻らなかったよ。
私が変わっちゃったんだね。
以前もTwitterに書いたが、私はとても感謝している。
8キロのダイエット成功、150万かけて歯列矯正、TOPIK5級取得。全て彼が導いてくれたと思ってるから。
まさに人生を変えてくれた人。向こうは私の事なんて知りもしないだろうけど、そのくらい私にとっては大きな存在だったんだ。
その気持ちはずっと大事に覚えておくからね。
私が今本当に恐れているのは次現推しグルにもこういう日が来るんじゃないかという事だよ。昔はNCTでこんな日が来るなんて思ってなかったもの。
今日みたいに悔いなく未練なく終えられるオタ活をしようと心に誓うことしか出来ないかな。
INTJがうつ病になると厄介だよ②
前回の投稿で、INTJがうつ病になりやすい要素を持っているのではないかという自論を述べた。
『完璧主義・人を頼れない・論理に寄りすぎて己の感情を無視する』
この3点が特にうつ病への道に繋がる要素になりえると私は思う。
さて、ここからは実際うつ病になったINTJ(私)がうつとINTJの相性の悪さを感じる点について述べる。
①やっぱり人を頼れない
自分の病状の辛さを1人で抱え込んでしまう。
主治医にも上手く自分の状況を伝えられない。
カウンセリングも拒否してしまう。
家族や身近な人にも辛さを吐き出せない。
②長期的な計画が立てられない事への苛立ち
明日の自分の心身状態すらわからないのがうつ病だ。戦略的に計画を立てて効率良く動く事に生き甲斐を感じるINTJにとって、これは最もと言って良いほど辛い。
③休む事を許せない
うつ病の最大の治療はとにかく休む事である。
INTJは休む事が苦手だ。常に自分を発展させる事、成長させる事を考えている。休む事、ぼーっとする事に罪悪感を抱く。常に『何かしなきゃ!』と考えて焦ってしまう。焦りはうつにとって最大の敵なのだ。
④自分の感情に向き合えない
常に効率を考え、論理的に生きてきたINTJ。
自分が今どんな感情なのか理解することも表現することも難しい。
診察の際も体調についての状況説明は淡々と出来るのに、メンタルの状況に関しては口ごもってしまう。帰ってきてから、言いたいことの2割位しか言えなかったなと反省する。
問診が中心の精神科において、自分の状況を正確に伝えられないのは治療にも悪影響だろう。
以上の事が現状私が感じているINTJとうつ病の相性の悪さである。
我こそはINTJという方は、INTJの持つ魅力を活かしつつも己のメンタルヘルスに気をつけて過ごしてほしい。
INTJがうつ病になると厄介だよ①
MBTIがじわじわと流行り始めてから3年くらい経つだろうか。
かつては一部の人にしか通じなかったこの16タイプの性格診断。今や当たり前のように使用されている。特にK-POP界隈ではMBTIを知らないオタクは皆無なのではないだろうか。
冒頭で触れたように、MBTIは複数の質問に答えてその回答を元に16タイプの性格タイプに分類されるものである。詳しい事は他サイト等を参照されたい。
https://www.16personalities.com/ja
さて、私は初めてこのテストを受けた時から何度やり直してもINTJ(- T)になる。
根っからのINTJなのだ。
INTJとは「内向型」「直観型」「思考型」「判断型」を持ち合わせた性格であり、建築家タイプと言われたりする。
女性はかなり割合が少ないらしく、全体の0.8%しかいないとか。
簡単によく言われているINTJの性格をまとめるとこうだ。
『孤独、内向的、独立志向が強い、一匹狼、感情よりも論理、計画を立てるのが好き、戦略的、完璧主義、責任感が強い、知識が豊富、人付き合いが苦手、用心深い…』等々。
これだけ見てると近寄りがたい感じがする。
そもそもこれだけ絶対数が少ないのだから出会す機会も少ないでしょう。
まあ、そんな少数派のINTJな私。
ちなみにINTJにもA型とT型があって、Aは常に気持ちが安定しているタイプ、Tは気持ちが不安定で外部からの刺激に弱いタイプだそうだ。私は後者のT型だ。
よくINTJはメンタル強者だとか言われるけど、そんな事はない。何故なら私がうつだから。
以下にINTJがうつになりやすい要素を3つ並べてみた。
要素① 完璧主義
INTJは自分がこだわる事に関してはとことんこだわる。そして完成度を求める。時には自己犠牲をしても。だからこそ、知らず知らずにエネルギーを消耗している事が多い。
要素② 一匹狼
INTJは人を頼るのが苦手。相談する事が苦手。
何か困っていても助けの手を求める事ができない。1人で抱え込んでしまう。
要素③ 論理的になりすぎる
常に頭の中は効率を上げる事を考えている。自分がどうしたいかとか感情よりも、何が1番効率的なのか適切なのか論理で考えがち。そうやって気付かぬうちに自分の感情を犠牲にしている。
INTJって基本的に根は真面目なのよね。だから、条件次第ではうつの波に飲まれやすいと思う。
次回はINTJが鬱になると面倒だという事について書く事にしよう。
通院DAY
今日は精神科へ定期通院。
いつも表面飾りをして取り繕い、本当の心境を言えないで帰ってきてしまうので、今日こそはとメモを持参し出動。
午後の予約だったので、クリニック最寄り駅でランチ。ATEEZのように油そば…と行きたかったが、それらしき店はないのでつけ麺を。
清潔で女性1人でも入りやすいお店だったし、美味しかったのでリピートしたい。
さて、肝心のクリニックへGO
メモには
8月中旬頃からメンタルが絶不調。
朝から夜薬を飲むまで死にたい気持ちになる。
ソワソワ不安と焦りがずっとある。
貧乏になるのではないかという恐怖心があり、身の回りのものを売っている。
興味関心が喪失している。
学生時代自傷をしていたが復活しそうだ。ぎり未遂で止まってる。
と書いて、ほとんどこの通りの事を話したと思う。
私は話しながら静かに泣いていた。
仕事についての考えも率直に話した。
先生からは何もしていない事に自責の念があるならば、目標を立てて活動をした方がいいと言われた。
遊びでも運動でも海外旅行でも…と。
(うん…海外は2回行ってるのよな…旅行ではないけど。)
そして、もう少しゆっくり休んだら2ヶ月くらいリワークを使ってみてはどうかとの話も出た。
私もリワークには興味があるし、いきなり社会復帰は怖いので活用してみたい。
ただ、調べてみたらリワークって無料じゃないのね…。
一回あたり2000〜3000円もするそうな。
死にたいのに生きるためにお金をかけて生きなきゃいけない世の中。
やってらんないわ😑
『家族・支援者のためのうつ・自殺予防マニュアル』を読んで
改訂新版 家族・支援者のためのうつ・自殺予防マニュアル:https://amzn.asia/d/i4bWmfd
下園壮太先生の書いた本である。
自分自身のうつを客観的に見てみようと思い、この本を手に取った。読了まであと少し残っているが、現時点での感想を書いてみる。
うつの仕組みについて、うつ病当事者が読んでも非常にわかりやすくさまざまな比喩を用いて説明されていた。
うつ病患者の対処例として挙げられていた
・表面飾り
・しがみつき行為
これは正しく私に合致していた。
『表面飾り』
何故か人前では明朗快活に取り繕ってしまう。
私の場合は身近である家族に対してもそうだ。
誰に対しても弱みを見せられない。
ほんの少しだけ吐き出せるのがTwitterだろうか。
『しがみつき行為』
私は精神科に通う前、不眠や自暴自棄によるアルコール大量摂取をしていた。
学生時代はアームカットをしていた。
下園先生は、これらの行為を生きる為にしていると書いていた。その通りだと思う。
運よく死んでたら良いな…程度に思うことはあったが、確実に死のうとしてそんな手段は選ばない。
またうつ病当事者の
『苦しまなければ』妄想
これも自分自身に合致した。
体調面に限界が来ていたが、休みたいと言い出せなかった。そんな私は「限界まで働いて倒れたら休める。その時まで働こう。」と思っていた。
周りの人が私の異変に気づき声を上げてくれたことで、回避できたが、あの時複数の人が「体調は大丈夫なのか?」と声をかけてくれなかったら、倒れるまで働いてたのだろうか。
客観的にうつ病を見た時に、やはり死の可能性が常に付きまとう病なのだと思った。
そしてそれは病気の重篤さだけでなく、運命的要素と合致した時に起きてしまう。
私は今希死念慮に苦しめられている渦中。きっと社会的な行動はあまりしない方がいいのだろう。
復職、転職、資格取得、貯金など焦りは消えない。
しかしその運命の波と死にたいの波が合致しないように過ごさなければならない。
一筋縄に行かないのがこの病の恐ろしいところのようだ。
精神科の門を叩くまで
精神科受診のきっかけ
こんな文章世の中にいくらでもあるだろう。でもきっと精神科へ行き着く過程は千差万別。
私が精神科の門を叩くまでの道のりを綴ってみる。
前回の投稿で、学生時代から心を病んでいたと書いた。さらに心理学専攻ということもあり、学生時代から『精神科』の存在を意識することは多々あった。
しかし、学生時代に精神科を訪れる事はなかった。
その理由は、『親に精神科への通院を明かしたくない』の一点だった。まだ扶養から外れてない時分、通院先は健保からの通知でばれてしまうだろう。そう考え、精神科に足を運べなかった。
それでも、どうしても救いの手が欲しかった。当時は自傷行為だけでなく妄想も酷かった。
大学のカウンセリングルームを訪ねようと何度思った事だろう。でも、それすら出来なかった。
心理学を学んでいながら、私は正しい精神医学の認識が出来ていなかった。
その約10年後、ようやく精神科の門を叩く事になる。
最初から精神科へ行ったのではない。そこに至るまで様々な病院、クリニックを渡り歩いた。
履歴を簡潔に記すと
といった流れだ。
経緯を以下に綴っていく。
まず顕著に異変が現れたのは身体の痛みだった。首、肩、腰。尋常ではないコリが出現した。酷い時は頭痛や目眩がして、何も思考ができないほどだった。
そこでまず整形外科に足を運んだ。レントゲンを撮り、所謂ストレートネックだと言われた。
ひとまず筋弛緩剤の薬と湿布を処方された。
しかし一向に良くならず、自宅から通える範囲内の整骨院に通うようになった。そこには数ヶ月通院した。手技、鍼治療、お灸…。あの手この手を尽くした。おかげで最悪の状態からは脱したが、仕事の忙しさで徐々に通えなくなり、一切行かなくなってしまった。
それから半年くらい経った頃だろうか。次に訪れたのは耳鼻科だ。
秋に会社の健康診断があり、聴力検査をしたところ右耳の低周波が全く聞こえなかった。機械が壊れてるのか?と思った。何度やっても聞こえなかった。偶々かも知れないと思い、あまり気にしていなかったが、上司にそれを伝えたところ耳鼻科で診て貰ったら?と助言を貰って一度行ってみることにした。
すると、やはり右耳の低音だけ難聴気味だった。
目眩も日常的にあるため、眼振検査もして、メニエール病の疑いが出てきた。
目眩は疲労のせいだと感じていたが、病気由来なのかも知れないと思うと精神的に追いやられた。
ただ、大きな発作が出るようなことはなかったので、一先ず様子を見ることになった。
その1ヶ月後位だろうか。今度は、不眠の症状が出始めた。最初は入眠困難が出た。一睡もできずに仕事に行く日もあった。そういった時は動悸も酷く出た。入眠困難と中途覚醒を繰り返すようになり、徐々に生活に支障をきたすようになった。
『睡眠薬が欲しい』と思い、この頃ようやく心療内科を探し始めた。しかし、この時に初めて心療内科や精神科の類がどこも予約制で、初診は1ヶ月待ちも当たり前と、受診のハードルが高い事を知った。
すぐにでも助けて欲しいのに、その助けが得られないのかと絶望した。
不眠のせいか、動悸が頻発するようになった。不整脈や胸痛もあった。そういえば健康診断で心電図も引っかかってたなと思い、試しに循環器内科を訪れた。確かに心電図に異常は見つかった。ただ、それだけでは病気とは言えず、直ちに健康に害が出るものではないとのことで、肋間神経痛ではないかと告げられ、痛み止めを出しますか?と言われたが断った。
もうここまで来ると八方塞がりだった。
この頃から、朝起きたら突然死んでいたら良いのにと思ったり、自殺について検索したり、希死念慮が強く出てき始めていた。
冬、もう限界が来た。
職場の人からも健康状態を心配されるようになっていた。きっとこの症状は自律神経失調症だろうと自分で考えていた。私は昔から季節の変わり目に胃が痛くなったりしやすかった。きっと自律神経が弱いんだと諦めていた。
もう、どこでもいいから精神科を受診して、薬が欲しい、休みたいと思った。
職場に向かいながら、1時間圏内で通えるところならばどこでも良いと精神科・心療内科を探し、数日後にウェブ予約を取ることが出来た。
ウェブ予約の際に簡単な問診があった。
実際にクリニックを訪れた時も、その問診を元に話を進めていった。私は、最初こそ我慢していたが話しているうちに徐々に涙が止まらなくなった。これまでの辛かったこと、我慢して1人で閉じ込めていたことが全て溢れ出た。
先生から『これは、うつ病の症状です。』と言われた。正直驚いた。
うつ病で診断書を貰った。
先生に優しく『休みましょう。そして絶対に死なないと約束してください。』と言われた。
その日はその後血液検査をして、薬を処方されて帰宅した。
泣きすぎて、頭がぼーっとして、明日からの事なんて考えられなかった。
うつ病は、まさか自分がなるはずがないという思い込みが強い病気だと思う。
だからこそ、精神科の受診に辿り着く頃にはズタボロの状態まで追い込まれているケースも少なくない。
私のように、理由のわからない体調不良や、希死念慮に苛まれている人がいるならば、精神科の受診をどうか選択肢に入れて欲しい。行ってみれば分かるが、雰囲気は他の病院と大差はない。
私の経験が誰かの助けに少しでもなればと思う。
希死念慮と共にいる私
『希死念慮』という言葉は大学生の時に知った。私は心理学専攻だった。
そして私が『希死念慮』と共にあると自覚したのも同じ頃だった。
うつの診断を受けたのはつい半年程前だが、きっと私のうつは学生時代から始まっていたように思う。二十歳を迎える直前頃だろうか。
私はその頃アルバイトで相当なストレスを抱えていた。アルバイトという立場でありながらもノルマを課される日々。胃を痛めながら働いていた。
それだけではない。詳細は伏せるが、私の養育環境は決して良いと言えるものではなかった。
いわゆる機能不全家族であり、私自身がAC(アダルトチルドレン)だと思う。今でもそれによる生きづらさを感じている。
話は戻るが、二十歳の誕生日を迎える頃、漠然とした不安感や焦燥感に苛まれるようになった。その不安感から逃れたくて、ファッションビルや商業施設を目的もなく徘徊したことが何度かあった。
しかし、不安感はより増大し、希死念慮となって私を飲み込んでいった。
次第に私は、私の身体を自分で傷つけるようになっていった。
アームカットを繰り返すようになった。
生きるのが苦しくて、どうしようもないと、スッとカッターで腕を切った。
その瞬間は、痛みよりも苦しみからの解放でスッキリするのだ。後から怖さで全身が震えた。
度胸がないので深く勢いよく切ることは出来なかった。
でも10年経った今でも当時の躊躇い傷はまだ残っている。
必死で生きようとした証だ。
家族には自傷行為はバレなかった。娘がそんなことをするはずがないと思い込んでるのだろう。
結局自称行為は頻度は減りながらも2年程続いた。
成人式の日に、着付けのおばさんに左腕を握られ『この傷どうしたの?』と聞かれた時は胸が痛かった。
社会人になってからは暫く、自傷行為はしなくなった。
理由は単純で、脱毛サロンに行った時にその傷跡の部位を照射してもらえなかったから。
希死念慮を感じる頻度も、波はあれど少なくなっていっていた。去年までは。
私は再び希死念慮の渦中に居る。去年の秋頃から、毎日通勤中に『自殺』『突然死』と調べるようになっていた。毎日出てくる『いのちの電話』
朝目覚めてたら死んでたらいいのにと本気で思っていた。
最近は毎日朝起きて暫くすると頭の中を死にたい気持ちが支配してくる。それが夜の薬を飲むまで続く。
漠然とした不安感、絶望感、無価値感…
ただただこの気持ちと共にいるのが苦しい。
誰が、何が、私を救ってくれるのだろうか。
どうしようもなくなって、また自傷をしたくなった時の為に、大きめの傷パッドを買った。
私は生涯この希死念慮と共にいて、人前では明るく振る舞い、時に自分を傷つけ、どうにか生きていくのだろうか。
そうじゃない人生を歩んでみたかった。
それとも人は皆そうやって生きているのだろうか。
いつか私が本当に希死念慮に負けて、実行してしまう日が来たら、本当に苦しくて辛い思いをしていたんだとこれを読んで知ってほしい。
明るく振る舞って生きるのはもううんざりだ。
私はこんなに死にたがりだったんだよ。
きっと周りの人はその時初めて知るんだろう。
誰も本当の私なんて知らない。