希死念慮と共にいる私
『希死念慮』という言葉は大学生の時に知った。私は心理学専攻だった。
そして私が『希死念慮』と共にあると自覚したのも同じ頃だった。
うつの診断を受けたのはつい半年程前だが、きっと私のうつは学生時代から始まっていたように思う。二十歳を迎える直前頃だろうか。
私はその頃アルバイトで相当なストレスを抱えていた。アルバイトという立場でありながらもノルマを課される日々。胃を痛めながら働いていた。
それだけではない。詳細は伏せるが、私の養育環境は決して良いと言えるものではなかった。
いわゆる機能不全家族であり、私自身がAC(アダルトチルドレン)だと思う。今でもそれによる生きづらさを感じている。
話は戻るが、二十歳の誕生日を迎える頃、漠然とした不安感や焦燥感に苛まれるようになった。その不安感から逃れたくて、ファッションビルや商業施設を目的もなく徘徊したことが何度かあった。
しかし、不安感はより増大し、希死念慮となって私を飲み込んでいった。
次第に私は、私の身体を自分で傷つけるようになっていった。
アームカットを繰り返すようになった。
生きるのが苦しくて、どうしようもないと、スッとカッターで腕を切った。
その瞬間は、痛みよりも苦しみからの解放でスッキリするのだ。後から怖さで全身が震えた。
度胸がないので深く勢いよく切ることは出来なかった。
でも10年経った今でも当時の躊躇い傷はまだ残っている。
必死で生きようとした証だ。
家族には自傷行為はバレなかった。娘がそんなことをするはずがないと思い込んでるのだろう。
結局自称行為は頻度は減りながらも2年程続いた。
成人式の日に、着付けのおばさんに左腕を握られ『この傷どうしたの?』と聞かれた時は胸が痛かった。
社会人になってからは暫く、自傷行為はしなくなった。
理由は単純で、脱毛サロンに行った時にその傷跡の部位を照射してもらえなかったから。
希死念慮を感じる頻度も、波はあれど少なくなっていっていた。去年までは。
私は再び希死念慮の渦中に居る。去年の秋頃から、毎日通勤中に『自殺』『突然死』と調べるようになっていた。毎日出てくる『いのちの電話』
朝目覚めてたら死んでたらいいのにと本気で思っていた。
最近は毎日朝起きて暫くすると頭の中を死にたい気持ちが支配してくる。それが夜の薬を飲むまで続く。
漠然とした不安感、絶望感、無価値感…
ただただこの気持ちと共にいるのが苦しい。
誰が、何が、私を救ってくれるのだろうか。
どうしようもなくなって、また自傷をしたくなった時の為に、大きめの傷パッドを買った。
私は生涯この希死念慮と共にいて、人前では明るく振る舞い、時に自分を傷つけ、どうにか生きていくのだろうか。
そうじゃない人生を歩んでみたかった。
それとも人は皆そうやって生きているのだろうか。
いつか私が本当に希死念慮に負けて、実行してしまう日が来たら、本当に苦しくて辛い思いをしていたんだとこれを読んで知ってほしい。
明るく振る舞って生きるのはもううんざりだ。
私はこんなに死にたがりだったんだよ。
きっと周りの人はその時初めて知るんだろう。
誰も本当の私なんて知らない。